「淡島通り」はよく使っていたのですが、そういえば、淡島様、淡島大明神がそのお名前の由来であることについては、思いがいたりませんでした。
そういえば、ここ、ブラタモリででてきました。
「下北沢〜なぜ若者は“シモキタ”で夢を見る?〜」 初回放送日:2023年4月22日 https://www.nhk.jp/p/buratamori/ts/D8K46WY9MZ/episode/te/Q8YQRJ9436/
この森厳時の道標「東 あをやま 南 ゆうてんじ・めくろ(=めぐろ)ふどう」
左右を見ます。
区画整理されておらず、昔の街道の雰囲気が残っています。
(シモキタ、下北沢ってこんな感じで迷いやすい)
「粟嶋の灸」という看板があります。
ここは江戸時代、お灸で有名だったそうです。
開山された清誉孫公和尚が腰の痛みに悩んでいたところ、夢枕に淡島明神が現われ灸をするとよいと言われて試したところ完治したところからお灸が評判となったと。
お寺なんですけど、淡島さまは、「淡島明神」です。
明治の神仏分離では、明神からご祭神は、医薬神である少彦名命となっていますけれど、やっぱり淡島明神さま、でしかないと思うんだけどな。
淡島堂におられるようです。
宗派は浄土宗で、ご本尊は、阿弥陀如来様。
開扉されていて、お姿をみながら参拝できます。
この近くには北沢八幡神社があり、神仏分離以前はこちらは別当寺だったそうで、山号を「八幡山」と称されます。
ご挨拶します。
私は神さまでかじゃなく、仏さまを拝むことも多いのですが、阿弥陀如来さまは、すぅっとしてる感じがします。
抜けていくというか。
徳川家康公の次男である結城秀康(ゆうき ひでやす)公の位牌所として創建されているので一般の参拝者向けというより、そのおうちのお寺ムードがあります。
このご本尊さまの下にもお位牌がみえます。
徳川家に由来のあるお寺なので、あちこちに三つ葉葵のご紋があります。
ご朱印をいただいたのですが、各種キャッシュレスサービスや、中国のキャッスレス決済にも対応されていて、いまどきだなあ、と思いました。
左右に狛犬。
今は神さま、ということなんですけど、このお堂、なんかに使われていて、今は、使われていない感じがします。
帰ってから調べてみたら、有名だった「粟嶋の灸」はこのお堂で施されていたそうです。なるほどね。
淡島明神は、女性の病気を治してくれる神さまです。もともと、紀州(和歌山県)の加太神社におられます。
開山された、初代の和尚さまの清誉孫公和尚さまが和歌山のご出身であり、そこのご縁なのかもしれません。
女性の神さま、ということで女仕事とされていた裁縫の針に感謝をする針供養もここで行われます。
針供養の碑と、うしろは幼稚園
豆腐にさして供養された針は豆腐より抜き取られ、その豆腐は、淡島堂正面にある石棺に納められるそうです。
なんか不思議な雰囲気があります。
江戸時代、森巌寺はお灸と針供養と富士塚で大賑わいだったそうで、実際、境内からは富士塚が発掘されました。
ご朱印をいただくときに、各種キャッシュレスサービスを見て「いまどきだなあ」と思ったのですが、この弁天さまはさらに「いまどき」でイケてるお堂におられます。
お堂のとなりには手水もありました。
この弁天さま、宇賀神さま、素晴らしい。
かわいい。
閻魔さまとお不動さま、左があいていて、どなたかおられれも不思議じゃない空間です。
東京でこういった閻魔さまのお像を見ることはあまりないです。
江戸時代の街道。お灸と針供養と富士塚で賑わったお寺です。
結城秀康公の墓所なのですが、いまは淡島明神さま、と弁天さまという女性の神さまがおられる聖地です。