咲前神社 が、こちらも兼務されているようで、
社務所で、地図をいただいて、行き方を教えていただきました。
車のナビだと、近くには行くけど入れないよ、という道もあるので、ご注意を。
(それにしても、羊(ひつじ)?)
教えていただいたように、「自販機が三台あるところを曲がって」とか、
「神社ののぼりがでている道を入って」到着。
あ、なんかココ、不思議な場所。
不思議って、おかしなという意味ではなく、普通の神社とはなんか違う感じがするのです。
もちろんきれいに掃き清められていて、ご奉仕される方のお気持ちが、伝わります。
ご挨拶します。
カラではないけど、生きているという感じでもない。
パワースポットとか、聖地ではないし、お墓でもない。
記念の場所のような感じ。
だいたい羊、ってなんだろう?とご由緒書を読んだら、
ご祭神は、天児屋命(あめのこやねのみこと)と
多胡羊太夫藤原宗勝公(たごひつじだゆう ふじわらむねかつこう)
羊の日に生まれたとも聞きましたが、この藤原宗勝さんが羊らしい。
アメノコヤネノミコトは、春日神社の神さま。
藤原氏である宗勝公の親神さま。
だから、宗勝公にさきだって、書かれています。
藤原氏は、もとの中臣氏。
咲前神社は、物部氏から姓をもらった磯部氏と関係していて、
ここは、中臣氏。
蘇我氏に対抗した勢力、物部氏、中臣氏が並びます。
多胡羊太夫は、興味深い人物です。
多胡とはかつて群馬にあった地名。
この多胡の土地を「羊なるものに与えた」事から、そう呼ばれているらしいのですが、
羊って、名乗るっていうのも、不思議。
ひつじ、というより、ヨウという音にすると、しっくりくる。根拠はないけど。
この羊太夫は、調べてみると、馬で都まで1日で往来したという伝説や、
秩父地方で、銅を発掘した功績があるなど、渡来人との関係がありそう。
それに、与えられた土地の多胡という地名ですが、
「胡」は、えびす、異民族という意味。
また、このあたりの地名の甘楽(かんら)も、韓来(かんら)で、
やはり、渡来人が多くいたと考えられます。
その後、この地を治めた小幡氏は、
はた、であり、この地方の産業である養蚕と機織り(はたおり)で、
渡来系民族の秦(はた)を連想させます。
境内には、羊太夫の碑もありました。
由緒書きによると、写真右がおみくじをさげる所で
その左が、「多胡宮羊太夫宗勝神像位」碑。
次が絹笠神社、最も左が、三峰神社です。
渡来人と、物部氏藤原氏と、この地方の豪族の記念の場所なのかもしれません。