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大阪のおばちゃん超訳 ブッダの言葉 & 死では終わらない物語について書こうと思う

長いタイトル、そして、二つも。

いいなあ、と思う方の新刊は、チェックするので、だいたい追いつきません。
釈徹宗さんも、そのひとり。
浄土真宗のお寺の住職であり、グループホーム「リライフ」の運営をされていて
相愛大学の教授でもあり、また、私塾の「練心庵」でいろんな試みをされています。

その釈さんの最近のオモロイ本が、こちら。
「大阪のおばちゃん超訳 ブッダの言葉」
ハヤシユミさんのイラストでかかれた大阪のおばちゃんたちと、
おばちゃんのTシャツの柄からでてきたヒョウガラッタちゃんが
釈先生に、「ええこと言わはる」ブッダさんの言葉を教えてもらいにいきます。

いわゆる「読みやすい」本ですが、
だからといって「読み飛ばせる」本ではありません。
ちょっと、手の届くところにおいて、ふとしたときに、どのページからも読み返せます。

私は、「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉が好きですが、
ここでは、六波羅蜜(ろくはらみつ)のなかの
気持ちを集中することという禅定(ぜんじょう)波羅蜜で説明されています。
その他にも、説明されるお経という「ブッダの言葉」。

そして、説かれているのは、「物語」の大切さ。
用事がすめば、おしまい、という情報ではなく、
それにであったら、その前後の生き方がかわってしまうのが物語。
宗教が語る神仏や、死後の世界も大きな意味での物語だ、との事です。
そして、現代の私達になくなってきているのでは、という問いかけです。
その問いかけが、さらに、こちらへ続きます。

「死では終わらない物語について書こうと思う」
前世って、あるの?という問いの立て方に疑問を持っていませんでしたが、
前世があるか、ないか、ではなく、
あの世は、私に必要なのか?そして、なぜ、必要なのか?が、
問いのたてかただ、とあります。
ああ、そうだ。
私は、今まで、問いの立て方に疑問をもっていなかったけど、
問いの立て方は、あの世は、必要か、どうか。そして、なぜ、必要か、だ。
そして、私は、あの世とか来世が必要ない、と思う「この世」は、
とてもサビシイと思います。

ここでは、いろんな方の「死に方」が往生集という物語で紹介されています。
いろんな方の死に(往生集)が、でているのですが、
反則技テキに泣いてしまう所をご紹介。

「なぜ阿弥陀様が、おまえを背負って、極楽へゆくのか」
と尋ねると、死にゆく幼女は
「私は、わけは存じませんが、
阿弥陀様は私が可愛くて可愛くてならないそうです」と答える話。

情報は、役にたつけど、物語は、役にたたない。
でも、この子どもにとって、ゆだねているのは、物語であって
阿弥陀という情報ではないのです。
阿弥陀という情報ではなく、物語。

さらに、浄土真宗には、極楽へ往生したあとに
再び、この世にもどって、みなさんをサルベージするという
還相回向(げんそうえこう)という考えがあるそうです。
強いなあ。
私は、コワくてとてもできない。

この本では、浄土真宗の僧侶である釈さんは、
「あの世」ではなく、「お浄土」と書いていらっしゃる。
私は、浄土真宗の門徒ではないから
「あの世」「天国」「極楽」でもいいや、と思います。
だから、私は、私のために準備されていたと思う
「死では終らない物語」には、まだ出逢ってない、のかもしれません。
そして、この本は最初の問いかけにすぎない、と思っています。

大阪のおばちゃん超訳 ブッダの言葉

死では終わらない物語について書こうと思う