ツイッターで古神道祝詞の作者のまろかれさんが何回かリツイートされていたので、気になって読んでみました。
日本の神話は耳学問で知ってるし、古事記自体は、原文と読み下し文で読んだことだあるからなあ。
その上、ラノベのお年頃じゃないでしょ、と思ってたのですが。
ごめなさい。認識がまちがっておりました。
(ラノベってナニ?という大きなお友達に説明します。ライトノベルのことで、娯楽小説と言われています。結構、楽しい分野なので一度、お手にとってください)
そして、このラノベ古事記では、私のイマジネーションのなさを再確認。
例えば、天孫降臨。
天の国から、この国を治めに天照大御神のお孫さんがやってくるという話。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)がなぜ、こないのだ?なぜ、お孫ちゃんなのか?と思ってました。
自分は、神様の天上界を治めてて、手いっぱいで自分が行けないとしたら、息子だろ?普通は。
実際、二人の息子がこの国を治めなさい、とお母様(アマテラス)に言われてやってきたのですが、結局は、二人とも治めることができなかったのです。
そのうちの長男、天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)のセリフ。
「めんどくさ。」
「よし・・・帰るか」
「え?めんどks・・・」
サイコー(笑)
そっか、メンドくさかったんだ。オシホミミさんは。
だってそうだよね、お母さんが統治している国に、何不自由なく暮らしているボンボンだもの。
何をすきこのんで、出かけていって、その上苦労なんかするものですか。
そして、ここまで神様をキャラ立ちして読む事ができたという幸せ。
読み下し文では、自分のイマジネーションがここまで到達しない。
学校ではなかなか習うチャンスがない日本の神話ですが、神話をモチーフとしたゲームがあったり、初詣に神社に行ったりして、普段の生活のなかに神話は織り込まれています。
そして、古事記だったり日本書記だったり、あるいは風土記は、当たり前にそこにあって、今も、私たちの意識の底にある物語です。
神話という物語を背骨にもっているというのは、本当は強いことだと思うのですが、でも、あまりにも当たり前なので、無自覚になっている気もします。
ラノベ古事記のあと書きのなかで、古事記を語った稗田阿礼(ひえだのあれ)がこう言っています。
「日本の神様にはインドの仏様のようなちゃんとしたカタチが無くて・・・少しでも油断をしたら消えてなくなっちゃいそうで・・・」
ホントにそう。
気配といってもいい。
西行が伊勢神宮を参拝したときの歌「なにごとのおはしますか知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
そんなカタチのない神様が、日本の神様。
さらに、このあと稗田阿礼は続けます。古事記を作ろうと言い始めた天武天皇が言ったという言葉です。
「・・・『だって、自分の生まれた国がこんなに素敵だって知ることができたら、それってすんごくハッピーじゃない』とかなんとか言うから、アイツが望んだ通りに大量の言葉をインプットしたっていうのに」
うんうん、ハッピーだよね。ホント。
源氏物語は、その時の作家によって何度も訳されていて、その都度、物語としての命をのばしていると思います。
稗田阿礼の口伝から始まった古事記という物語も、いくつもの語り部を経て、次の時代に続いていく事ができますように。
もちろん、古事記もいろんな方が現代語訳されているんですよ、でもね、源氏物語に比べて、ジョシのネツの入り方が違う気がするのです。源氏物語には、あさきゆめみしという名作漫画もありますし。
聞かれてないけど、ちなみに、私は、瀬戸内寂聴さんの源氏が好き。
本棚の奥には今も、持っていて、目が覚めてしまった明け方に拾い読みしているのです。
あさきゆめみし
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なので、古事記もラノベになったり、いろんな作家によって現代語訳されて普及していって、いつか、私は小野寺優子さんのラノベ古事記が好き、って盛り上がれるといいなあ。
ラノベ古事記、おすすめです。
そして、コミックのカテゴリーにはいるのかと思いますが、古事記であるなら、こちらもおすすめ。
ぼおるぺん古事記
リツイートしてくれた まろかれさんが書かれた古神道祝詞
これも、もちろん、おすすめ。
古神道祝詞
まろかれさんのツイッターアカウント @furunomitama
この古神道祝詞の記事も書いています。こちらの記事で。
作者の小野寺優子さんの 古事記を現代語訳っていうかラノベ風にしてみたサイト
小野寺優子さん ツイッターアカウント @Are_Hieda