信州の善光寺。
この善光寺は、山に向かう、ゆるやかな坂の上にあります。
なので、ゆっくりとお寺にむかって登っていくことになります。
このあたりは、善光寺平といわれる山に囲まれた盆地で、いくつかの川がながれこんだ扇状地です。
参拝者、観光客でごった返しています。以前にも来ているのですが、これだけ混雑しているのは始めて。
この1、2年、どこの神社やお寺もたいへん、賑わっているように感じます。
特に、御朱印はブームで、参拝は二の次で、それをスタンプのように集めるのと目的としたり、転売したりという事もあるそうで、困った面もあるようです。
少し離れてみると、大変、落着いた場所であることがわかります。
そして、背後の山がとても、良い感じ。
善光寺の「善」は牛の顔だそうです。
そして、この扁額のなかに鳩が5羽いるそうです。
善の上の方に2羽。光の左右の2羽。寺の左のチョンに1羽。と、隣で団体旅行の添乗員さんが説明していました。
ほお~。
お香でお祓い。
本殿のなかは撮影禁止。そして、内陣と戒壇巡りには別にチケットが必要です。
お戒壇巡りも長蛇の列。1時間待ちのようです。
前回は、すすっと入れたので、これもびっくり。今回は、パス。この混雑は、団体旅行の旅行行程のひとつに組み込まれていることもあるようです。
お戒壇巡りについては、公式サイトの本堂の説明から。こちらです。
人混みのなかでご挨拶。ご本尊は、一光三尊阿弥陀如来。この形の仏さまは、とても古い様式だそうです。
周囲の賑やかさとは別に、とても穏やか。
このお寺は、何宗という事はないそうです。
今は、天台宗と浄土宗の住職が務められているそうですが、宗派が分れるまえにできたお寺だから、ということらしいです。
そして、内陣には仏さまとともに、神さまの像、神像もあるそうです。
善光寺の創建は西暦で500年代に遡るそうですが、それ以前から聖地であったために、ここに仏教をもってきた、と思うのです。
善光寺の公式サイトによると、もともと百済からわたってこられた仏さまが、仏教をめぐる争いのなかで物部氏によって、大阪の堀江に捨てられたところを、拾ってここにお連れしたというのが最初、とありました。
お連れした方が、本田善光という方なので、善光寺、と。
なので、そもそも、このあたりは渡来人と関係の深い場所なのだと思います。
仏教がまだ、日本に定着するまえ、長野や群馬は馬の産地で有名でした。その馬を大陸から連れてきたのが、百済の人たちという事が想像されます。
また、縁起の物部氏がらみのあたりは、仏教をめぐる戦いに敗れた物部氏の一部が、この地にやってきた、ともとれる話だな、と思いました。で、仏教は、後づけね。そうすると、このお寺は滅亡させられた物部氏の鎮魂の場所なのかも、と。しかも、仏教で。
まあ、物部氏の鎮魂の装置だとしたら、本拠地である大阪、奈良にあるべきだしね。実際にあるのか、どうかは、今はわかりません。
そういえば、長野(ながの)という地名。
大阪の河内長野にもあり、ここも古くから渡来人がいた地域です。
また、「ながの」という言葉は、古代の朝鮮語の刀(ナル) 磨く(カ)野(ノ)
あるいは、ナル(生み) 刀(ガル) 野(ノ)
ではないか、という論説を見つけました。
このあたりでも、鉄や製鉄の遺跡が発見されています。ただ、これは中央自動車道や新幹線の整備によってでてきたものも多く、その遺跡があったことが、製鉄が盛んであったかどうかは、また別だと思います。
しかし、朝鮮半島から渡来人とともに、馬や鉄などの技術がこのあたりに入ってきたのは、事実だと思っています。
この本堂、後ろにとても長い。大変重厚な建築物です。しかも、これ木造。
戒壇巡りをしたときには、真っ暗で実際の距離や長さがわからなかったのですが、これだけの奥行きのある建物だとはわかりませんでしが。
戒壇巡りは、この手前でやってるのかもしれません。
古い時代は、仏像を作らず、この仏さまの足形が信仰の対象だったそうです。その流れが今も、生きています。
これは、現代の信仰の流れ。
仏教の興る前から、仏像のできる前から、そして現代へ続く聖地です。
長野という地名についての文献は、こちらです。日本音響学会誌 69巻2号(2013)、PP81-83 → PDFです「どうして善光寺は長野にあるの」
この著者の福島貴和さんが別の論文で、砂鉄を溶かす高温の製鉄技術をもったタケミナカタが、スズを熱して叩くだけの製鉄技術しか持たなかったモレヤに打ち勝ったという「古代の鉄と神々」(真弓常忠)を引用していてちょっと、おもしろかったです。
「みすずかる」は、信濃の枕詞(まくらことば)で、信濃とは、今の長野の古い地名です。この枕詞にスズが含まれています。
また、タケミナカタ、モレヤは、諏訪大社におられる神々です。
お好きな方は、こちらをどうぞ。PDFです。→「長野とは?地名に隠された意味を解く」日本金属学会誌 まてりあ 第47巻11号(2008)p549