実は、この看板をみつけたのは門前の公衆トイレの前。
江戸川と、中川、荒川のあたりは、川が蛇行しているし、東京の東の低地は、あまり人が住んでなかったんじゃないのかなあ、と思っていたのですが、この柴又帝釈天遺跡は、奈良時代の住居跡だそうです。
昔はもっと海も近かっただろうなあ、と思って調べてみたら、葛飾区の区史のサイトが非情に充実していて、読みふけってしまいました。
東京の東部だけでなく、縄文海進の関東の地図などもあります。おすすめ。
東京都葛飾区 葛飾区史の「東京低地のなりたち」
この周辺は住宅地で、ちょっと下町の雰囲気も残っていて、ごちゃごちゃしています。
人ざわりのいい雑踏。
映画「男はつらいよ」シリーズで、主人公の寅さんのおなじみの口上の
「ワタクシ、生まれも育ちも葛飾、柴又。帝釈天で産湯(うぶゆ)をつかい、性は車 名は寅次郎。人呼んで フーテンの寅と 発します」の帝釈天です。
子どもの頃の印象は、門前のお祭りのような賑やかさと、お団子。
それから、ちょっと大きくなってからの、ごちそうのウナギ。
食べものばっかり。あまりお寺としての印象がないのです。
そして、寅さんの口上は、「帝釈天で産湯をつかい」って、なんでお寺でお湯がわいてるの?と思っていました。
でも、今回、とてもよくわかったのは、ここは「水」の聖地だということでした。
なるほど、だから、この帝釈天でいただいた水を産湯にしたくらいの近所なのですよ、というのが寅さんの言いたいところです。
浄行菩薩さま。水をかけて私たちの罪、穢れを洗い流していただきます。
こちらは、日蓮宗のお寺、題経寺で、でも、神さまのお水。
後ろには白い蛇。いい感じで神仏集合。
この日は、ちょうど巳の日だったので、よいお参りができました。
また、帝釈天の板絵が本堂から発見されたのが、庚申(かのえさる)の日であったことから、柴又帝釈天では庚申の日を縁日としています。
外からだと、人の出入りが多いのですが、上がらせていただき座って手をあわせると、落着いてご挨拶することができました。
拝観料をお納めして、本堂、拝殿の彫刻を間近に見ることができます。
この立体的な彫刻は、仏教の説話、法華経のありがたさが彫刻されているそうです。
あまり詳しくないのですが、火宅の話だけ、わかりました。
家が火事であることを知らずに、その中で遊んでいる子どもたちを救い出すために、父である長者は、方便として羊車・鹿車・牛車の三車を示して外に誘い出した話。
わかると楽しいし、知らなくても、この彫刻はなかなか、すばらしいものです。
ぜひ、間近で。
1300年前に柴又にトラさんがいた話がおもろかった 川千家のサイト