拝殿じゃないんですね。本殿に直接、参拝します。
なんだか、禁足地がないのが不思議に思うのです。
この本殿の後ろまで廻れるのですけれど、本来、この洞窟の前まで入れるとしても、ここって禁足地じゃなくて、入っていいんですね。
写真では明るく写っていますけれど、洞窟なので当然、ちょっと暗いです。
さっき、降りてきた参道。
ご祭神は、日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
この鵜戸の洞窟でお生まれになった神さまです。
神さまがお生まれになった場所に、足を踏み入れることができるのが、「いいのかな?」感があるのです。
海の女神さまと山の神さまのお子様ながら、鶿草葺不合尊が誕生した産屋は全て鸕鶿(う)の羽を草(かや)としてふいたが、屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ、草(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)に捨てられたとされていて、古事記、日本書紀にはそのお名前しかでてきません。
ご祭神なのに、捨てられちゃった神さまです。
また、お母様の豊玉姫は、お産の最中に姫はワニになり、はい回って苦しんでいる姿をみらたことを恥じて、み子を産みおいて、「私は海路を行き来したいと思いましたが、悲しいけれどできなくなりました」
と、海と陸の境をふさいで海へ帰っていきましたとあります。
豊玉姫は、海にお帰りになってしまった。そしてお子神さまも、すてられたとしたら、この母子の神さまたちは、故意に隠されたような運命をお持ちになったいたのではないかと思うのは、考えすぎでしょうか。
こちらの、ご祭神はご祭神であるうがやふきあえずのみことの一番上のお子神さまで、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)です。
そして、その4番目のお子神さまで、この彦五瀬命の弟の神さまのお一柱が神武天皇です。
上の公式サイトの系譜をみると、ご祭神のうがやふきあえずのみことのお子神さまは、神武天皇だけみたいに見えるけれど、そうじゃないのです。
でも、皇子神社の存在があまり「推し」てないし、なんか、ちょっとくっつけました感のお宮だな、と思ってのですが、明治になってこちらが神社、神宮となってから、ここにお越しなったそうです。
そして、明治になって神宮、神社となったお宮なのに、神武天皇ではなく、その上のお兄さまがお祀りされているのが不思議。
つまり、こちらの御祭神は、捨てられたとされていてそのお名前くらいしか古事記、日本書記にでてこない。
そしてお母様は海に帰ってしまった。
でも、ここはとても神聖な場所。
その一方で、誰でも足を踏み入れる、つまり場が荒らされる可能性があるけれど解放されている。
そして、ここは修行の場であった。
その御祭神の一番上のお子神さまのお宮は、本殿の隣にあるけれど明治になってからここにいらした。
そして神武天皇という明治政府、あるいは中央にとって大事な神さまはこちらの神さまの4番目のお子神さまなのに、なんとなく、ここでは影が薄い。
なんだか込み入った事情がありそう。
祝詞を奏上するときに登場する神さまたちです。
鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺(うどさんだいごんげんあびらさんにんのうごこくじ)の信仰のなごりと立て札にあります。
よく見えないのですが、仏教の法輪のような模様が石に刻んでありました。
豊玉姫が綿津見国へ去る時、御子の育児のために左の乳房をつけたもので、ここからしたたり落ちる水を母乳のかわりとしたと。
海にちかいけれど、真水が湧いているということなのかな。
うがやふきあえずのみことのお子神さまのお一柱である初代の天皇である神武天皇。
そこから続く系譜である。今の天皇陛下のお母様は、海にいらっしゃって、天皇は海の民でもあるんだなと思いました。