実は子どものころ、よく遊びにいっていたのが天神様だったのです。
もちろん、子どもですからただ、お庭に池がある、とか、お団子屋さんがある、という楽しいところ、というだけだったのですが、とは言え、私にとって親しみがある神さまなのです。
といっても、今となったら天神様、菅原道真公は京都での権力争いに負けて、太宰府に回されたけれど、京都に帰りたくて帰りたくて、でも帰れなくて。
その後、京都では天災があったり、関係した方々に不幸があったりしたので、この世に恨みをのこして亡くなってとされ、怨霊となった日本三大怨霊にも列されいるほどの祟り神です。
この太宰府でお亡くなりになって遺言のように太宰府でお弔いをしようとしたときに、亡骸を牛車に乗せて進んでいたところ、急に牛が動かなくなったところが、菅聖庿(かんせいびょう)とされ、太宰府天満宮となりました。
なので、神さま、というより、お墓の上にお宮が建っているイメージかな、と思います。
でも、まあ子どもの遊び場だったイメージは強いし、神あがりされているので、暖かい場所であったことのイメージを上書きするものではありません。
朝、早い時間だったのですが、近くの駐車場には大型のバスがズラッとならんでいて、参道もお店がシャッターをあけているくらいの時間なのに、大にぎわいです。
そして、ほぼ中国、あるいは台湾の方。
思えば、ここは大陸、台湾の方がむしろ近い場所です。
その昔から、大陸との交流もあったのもわかります。
参道のスタバ。大人気。人物を入れて記念撮影していらっしゃいます。
いや、来ないとわからない事はやっぱり、沢山あるよな、とあらためて感じました。
この鳥居から見えるお山が、いいのです。
帰ってから調べたら、手前の峰は違うかもしれませんが、この向こうには宝満山(ほうまんざん)であり、古くから霊峰として信仰の対象だった、とのことです。
道真公を乗せた牛車がここでとどまってしまったというのは、お牛さんも疲れたのね、という話じゃなく、お山のエナジーがあったんじゃないかな、と思いました。
小さい時に遊んだ天神様にもありました。
太鼓橋の上からみた参道。
参拝の方がたくさん、おられます。
手水舎の水の中には亀がいました。
このときは、令和の大改修の最中。
仮殿でお参りしたのですが、この仮殿がちょっと斬新。いかにも、のビニールで囲っているわけじゃなく、屋根に草木があって自然でいいのです。
工事中のお宮に伺うことも多いのですが、私は仮殿に神さまがおられる方がむしろ、近くに神さまを感じることになるので、これもよい機会がと思っています。
境内の大楠(おおくす)
動画で撮りました。
宝満山について 「宝満山登山にチャレンジ」 → https://www.city.dazaifu.lg.jp/site/kanko/15851.html
美術手帖 「藤本壮介が手がけた太宰府天満宮仮殿へ。1000年の歴史を次代へつなぐ」 → https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/29382