大甕(おおみか)神社、あるいは、大甕倭文(おおみかしず)神宮と称されます。
ご祭神は、武葉槌命(たけはづちのみこと)。
武葉槌命は、倭文神(しずりのかみ)とも称されます。
また、武葉槌命に封印されたという、天津甕星(あまつみかぼし)もお祀りされています。
天津甕星(あまつみかぼし)は、天香香背男(あめのかがせお)、星神香香背男(ほしのかがせお)、香香背男(かがせお)、香々背男(かがせお)とも称されます。
甕(みか)は、大きなカメのことで、神さまに捧げものをする入れ物を表すとも聞きました。
ここに、捧げものをして、荒ぶる神に治っていただくこと。
あるいは、ここから先の地元も神さま、国津神(くにつかみ)や
蝦夷(えぞ)の神に捧げものをした場所、ということでしょうか。
コレをいちいち、書くようにと言われています。
この頃、私はどこかで龍神を連れてきてしまったらしく、この日も雨。
地図でみるとわかるのですが、境内を国道6号、陸前浜街道が、境内をぶったぎっています。(明治政府がこの国道をつくったとしたら、ご丁寧なことです)
道の向こうにも、明らかに境内があって、久慈浜稲荷神社と祖霊殿があります。
昔は、たぶん、ご社殿をまわるように道があったと思われるのですが、
明治になって国道になってからでしょうか。
さらに、その昔は海に向かった台地の上のお宮だったと思います。
いまでも、境内からは海が見える位置にあります。
国道は、交通量が多く、トラックなどもけっこうなスピードで行き交い、
近くに横断歩道もないので、今回は、そちらは失礼しています。
いきなり大きな建物があって、これが拝殿なのか、と思いますが、こちらは儀式殿。
上の境内の地図からも、儀式殿の大きさと、信仰の厚さがあることを感じます。
実は、現地に行くときは、あまり下調べをしていないので、
ご祭神については、知らない事が多いのですが、
「これは本殿ではないけど、ゼッタイ、ココ」と感じました。
授与所の地図には、甕星神社(みかぼしじんじゃ)とあり、
公式フェイスブックには、2011年12月にご遷座の
甕星香々背男神社(みかぼしのかがせおじんじゃ)とあります。
比較的新しいお宮のようです。
この現代になって、ヤマト側に征服された側の、
甕星香々背男(みかぼしのかがせお)のお宮ができることは、
格別の意味があるように思います。
あえて、甕星香々背男には、命(みこと)をつけずに、申し上げております。
本来は、こちらから上がるものではないと思いますが、
まずは、封じられた甕星香々背男に、ご挨拶することになりました。
これは、北極星をもって信仰、
あるいは、海上の指標としていた甕星香々背男の一族の象徴。
ご挨拶します。
強い。
プリミティブで、まっすぐ。しかも、賢い方だ。
この近くには、東国三社があり、蝦夷に向かう最前線がこの地だったはず。
この小高い山は、昔は海にも向かっていたと思います。
ヤマトからの征服者は、東国三社というレイラインをあやつる技術と、
奈良を根っことする染色の技術も持って、おそらく海上から、この地にやってきたのでしょう。
鹿島神宮の建御雷神(たけみかづちのかみ)と、
香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)が、
息栖神社の天鳥船(あめのとりふね)にのって、やって来られた。
この先端技術と武器をもったヤマトの征服者は、彼とどんな会話をしたのでしょうか。
そして、こうして21世紀に、伏された山を穿(うが)つように、お宮ができています。
すごいパワー、というか、しぶといお方だ。
すぐそばには、日立の大きな施設がいくつも建ち並び、原子力関連の施設もあります。
新しい技術や、まだよくわからないけど、すごいパワーをもった何かに対する
前のめりの姿勢は、千年以上たっても、この地に生きています。
ヤマトからの最新技術も、受け入れる素地がこの土地にあるように感じました。
岩山の上にご鎮座されています。
霧のなかに、光っています。圧倒されました。
境内の木。
ご神木ではないのですが、この地のパワーを表しています。
甕星香々背男、海の一族で星を読み、強くて賢くて、アウトロー。
魅力的すぎる。
大甕神社 (大甕倭文神宮)のフェイスブック