昨年の「癒やしフェア」に続いて、古川陽明さんの祝詞講座に行ってきました。
そのときの講座については、こちらの記事で。
また、テキストにもなっている古神道祝詞のCD付きの本については、こちら。
どこの神社でも、ご神前は緊張するのですが、愛宕神社の拝殿のなかは、キラキラしていて、よい香りがしました。
20人以上の人数がいて、祝詞を勉強しますよ、という意識は同じという事もあり、がっとその場のエネルギーが高くなるのを感じました。
外も、桜の散る美しい季節。
この時に、みなさんとご縁をいただくのも僥倖。
その後、出世の階段をコワゴワ降りて、会場を移して講座となりました。
「癒やしフェア」の時も参拝のお辞儀の仕方から、柏手の打ち方、あるいは合掌の仕方から教えていただきましたが、今回もそこから。
私は、「癒やしフェア」の後、神社参拝の時は教えていただいたやり方でお辞儀をしていたり、あとに行列ができていなければ祝詞を奏上していたりしていました。
でも、こうしてもう一度、教えていただくと、我流に、あるいはテキトーになっていた部分があって、改めて勉強になります。
祝詞で、最初に教えていただいたのは「三種太祓(みくさのおほはらひ)」
私も、ルビで「みくさのおほはらひ」としましたが、この「はらひ」という言葉が大事。「はらひ」いうつもりで「はらい」というのは無音の言霊(むおんのことだま)としていいけれど、あくまでも、「はらひ」と発声するつもりで、と。
この祝詞は、短くけれど強力なので、私もよく奏上していおります。
このときに結ぶ印も教えていただきました。コレ、やってみたけれど印を結ぶとまた、パワーアップ。
そのあとは、こんなメニュー。
頁とあるのは、テキストとなった古神道祝詞の頁です。
祝詞の講座、といっても祝詞の言葉の解説だけ、ではありません。ああ、そうか、と思うことも多々、ありました。
例えば、
家に神棚がないとき。お札でもお守りでもいい、目線より高くして。それもなければ、北の方角を向いてもいいし、好きな神社の方向を拝んでもいい、と。
あるいは、
柏手は、宇宙のビッグバン。それと祝詞をあげることで、宇宙を再生している。よい音をだそうとしなくていい、とか。
今は、神社で感謝を述べる。それは良いことだけど、その先を考えてみること。世の中には苦しんでる人々もいる、この瞬間も。その人々への祈りを。家族が死にそうだという方は、その祈願は当然。だけど、神様に感謝した、その先の世界への思いやりと愛を、と。
さらに、何をとなえたか、より、誰がとなえたか、が重要、とか、などなど。
そして、祝詞は本来、神様に聞こえればいいので微声でお唱えしていたそうです。
そういえば、春日大社の神事のドキュメンタリーで見たのですが、神職がボソボソっと聞こえない声で祝詞を奏上していらっしゃいました。
しかし、声に出してみると、自分の身体に響く音は、とてもパワーがあるものです。
神社ではなかなか、大きな声ではできないのですが、自宅などで奏上すると、暖かくなります。
声の力、デカいのです。
これは、講座で古川さんがやってくれたのですが、伯家神道(はっけしんとう)では祝詞にフシがついているそうです。四方八方から囲まれて奏上されて聞いたら、トランスしてしまいそうなフシでした。
昔は、そうやって神懸かっていたんだろうな。
愛宕神社のある神谷町から新橋あたりは再開発ですっかり変わりましたが、こうした昔の建物も残っていました。
六本木ヒルズのあたりから、このあたり、こんなんだったんだけどね。
この変わっていく風景を愛宕神社の神様はずっとみておられるんだな、と思いました。
この講座は、希望者があれば続くようです。
私は大望をもっていて、ココに書くのは、ちょっとアレなのですが、書いてしまうと、自分の言葉で祝詞が書けたらいいなと思っています。(うあ!大丈夫か?私。書いちゃって)
自分の言葉で祝詞を書いて、奏上するとノっていくような気がするのです。
続くかな?
古川陽明さん ツイッターアカウント まろかれ @furunomitama