ご社殿の中央で長野県と群馬県に分かれた神社です。
正面の本宮は県境をまたいでいますが、左は長野県のお宮、右は群馬県のお宮です。
群馬県側からは登山の装備がないと上がってこれないので、軽井沢としました。
正確にいうと、安中遠足(あんなかとおあし)というマラソンのゴールになっているので、登山という装備でなくてもいいのですが、私は、無理。
安中遠足の安中市の案内のページ には、みなさん、かなりゆるいカッコの写真もあって楽しいのですが、けっこうなコースです。
安中遠足は、もともと、安中の武士が藩士の鍛錬のために始めたので、
このマラソンも、侍のカッコをしていたのですが、それがいつのまにか、こんなことに(笑)
向かって右側はの群馬県に鎮座されている熊野神社は、新宮と書いてあります。
熊野速玉大社にあたります。
ご祭神は、速玉男命(はやたまおのみこと)
熊野速玉大社は、元宮といわれる神倉神社に対し、新しいところ、という意味で新宮と呼ばれています。
新宮の方は、ご社殿も神楽殿も屋根が丸い。唐破風(からはふ)
熊野三山のそれぞれの神さまが勧請されていて、神仏習合の雰囲気が強く残っています。
写真はアップしませんが、ご社殿のなかには、
最近のものと思われる神像や奉納された随神がおられて、独特な雰囲気でした。
名前が珍しいけれど、ご祭神は天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)とありました。健康、関係してるのかな?
この熊野という、黄泉国の神社に、唐突に、伊勢の方。ヤマトの方である、天之御中主大神。
なんだろ?体制側のマーキングなのかな。
こちらからは、峠がみえます。
そして、日本武尊(やまとたけるのみこと)の看板。
八咫烏(やたがらす)の案内で碓氷峠の頂上に達した日本武尊が、
峠から見える雲海から海を連想され、
相模灘で荒海を鎮めるため身を投じられた妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)を思って、
「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ!)と、嘆かれたそうです。
そこから東の土地を吾妻、東(あずま)と呼ぶようになったそうです。
この吾妻(あがつま)の話は、別の土地にも残っていますが、
軽井沢から群馬に至るこのあたりには、
吾妻(あがつま)や嬬恋(つまごい)という地名があります。
でも、やはりここは亡き人を思う場所だったのかな。
東京の神社にも、弟橘姫の伝説が残る神社があります。
こちらの、亀戸浅間神社 と 妻恋神社 と 居木神社 の記事をご覧ください。
随神門の脇にあって、すごく写真にとりにくいです。
去年(2015年)沖縄から来たそうです。
冬は凍る軽井沢。さぞかしビックリしたでしょう。