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新海三社 絹笠社

長野県の佐久地方の総社。
広い境内に、エネルギーのポイントがいくつもあります。糸のようなシグナルを手繰っていくと、次の物語が現われるところです。

前回の西本社、中本社、そのあとの東本社から続きます。

駐車場のところにある地図。広い。

玄松子さんのサイトにわかりやすい地図がありました。

( 玄松子の記憶の新海三社神社 から転載 )

東本社。

普通、大事なお社は瑞垣がまわっていて、後ろにはあまり空間がないものなのですが、東本社の後ろには広い空間があり、その先に階段もありました。
なんとも無防備な感じもするのですが、この東本社のうしろ、主祭神の興波岐命(オキハギノミコト)の後ろにおられる、というのは、主祭神を通して拝する、手をあわせる対象という事で、重要な場所である事は確かだと思います。

池とそこに架かる橋。橋は結界の印。

その上には、絹笠社。

申し訳ないが、意外。しかも、やや荒れている。
絹笠社というのは、機織り、養蚕の神さま。
養蚕が盛んだったのは隣の群馬の富岡製糸場のイメージがあるので、明治になってから、という感じもしますが、長野でも盛んだったようです。
しかし、近代になってからの、それほど古くない神さまが、主祭神の後ろという重要な場所にあるのだろうかと思いました。
確かに、養蚕は重要な産業だったのだと思うのだけど、それだけかな?

絹笠社は、咲前神社にありました。
咲前神社は、父神さまのタケミナカタノミコトと結ばれた上野貫前の女神(荒船大明神)のお社。
ということは、ここにおられるのは主祭神オキハギノミコトの母神さまであるとしたら、この場所の重要性もあるのかもしれません。
咲前神社の絹笠社の記事は、こちら。
咲前神社のご祭神については、こちらの記事で。

あと、そういえば、父神さまのタケミナカタノミコトは、日光二荒山の母神さまを訪ねる途中に、貫前の女神さまと契られて、オキハギノミコトがお生まれになったのだった。

ということは、栃木の養蚕との関連もあるという事かもしれない。

栃木の養蚕で調べていたら、金色姫という言葉のわからない女性が茨城の海にやってきて、養蚕を教えて海に帰るという民話がありました。
海から蚕と機織りの技術がやってくるのは、おもしろいです。

そういえば、大甕神社でも、海と機織りの神さまが一緒にいました。こちらは海と星についての記事こちらの機織りの記事です。

以前、小海線の海は、八ヶ岳の山体崩壊による堰止め湖のこと、という記事をアップしたのですが、実は、海の民と安曇が関係があり、この海から最も遠い佐久にも海の民がいたのではないか?という話を読んでいたのです。
古事記や天皇の系譜にも海の民の話がちょくちょくでてくるので、おもしろいと思っていたのですが、それを裏付けるものもなく、また、このあたりにそういった実感もなかったので、文字にはしていませんでした。
でも、こうして養蚕というキイワードでは、海がこの地とつながることがあるのかもしれません。

この絹笠社の後ろには古墳が二基。地図では東御陵とあります。

他にも中御陵、西御陵があると地図にありました。

絹笠社の縁の下?には、「水」と書かれた瓦の一部?がありました。

それほど古くないのですが、そういえば東本社の前の階段をくだったあたりに、水音がしました。

絹笠社の手前には、やや荒れた感じの池がありましたが、そこではないと思います。
絹笠社の上から、落ちてくる水のようです。

この神社の最初は、この古墳と水、でしょうね。
古墳はそれほど古くないようですが、この付近には縄文の遺跡もあるようなので、最初はこの絹笠社の後ろにある泉か、水場の聖地だったのでしょう。

いただいたご由緒書に、ふしぎな写真がありました。

調べてみると、御神符祭(おみふさい)という祭りがあるそうです。
この御神符を書くときに、神社の後ろの山にある吉池というところから水を硯(すずり)にとって墨をすって書くそうです。
1月15日の丑三頃に神職が白い布で覆面をして水を汲みに行くが、途中で会った者は死ぬといい、田野口ではその夜は早くに寝てしまうと聞きました。

やはり、水の聖地なんだな。
そこに、水耕技術をもたらした主祭神オキハギノミコトが祀られることになったんだと思います。

その農耕の民が先だったのか、後だったのかわからないのですが、諏訪大社のタケミナカタノミコトや出雲美保神社のコトシロヌシノミコトに示される狩猟、あるいは製鉄技術をもつ人たちと、咲前神社の養蚕の技術をもつ人たちがいたので、それぞれの神社とのつながりが示されているのだと思います。

また、蚕と水というと京都の蚕の社を思い出します。
三柱鳥居(みはしらとりい)が池のなかに建っていて、秦氏が養蚕を伝えた縁(ゆかり)のある神社ですが、ちょっと遠すぎるか。
帰化人がこの地に養蚕を伝えたという可能性もなくはないけど、このあたりは、わかりません。

東本社の前にはしめ縄をはった石。

御魂代石より、むしろこっちだと思うのです。神さまの降りる依り代は。

この石の前、東本社のさらに東に、御射山社、と地図にありました。
御射山社というのは、諏訪大社の元社のひとつ。
これも諏訪大社との関係を示すものだと網のですが、ちょっと歩いてみたのですが、みあたらず行けませんでした。
御射山社については、こちらの記事で。

近くに龍岡城があります。
そのお堀のところにあった不思議な鳥居。

方向としては新海三社神社の山を向いているのですが、鳥居だけです。
拝殿も本殿もなく、目印の木があり、ここに神さまが降りてくるのだと思うのですが、説明板もありませんでした。

新海三社神社は、最初の鳥居からは明らかに山を拝していて、そのあとまっすぐな参道は西本社の前の拝殿に続いていました。
ところが、西本社側には現在のエネルギーの重心はあるのですが、以前のエネルギーポイントは三重の塔がある東本社側であり、さらにその山中にある古墳、泉へとどんどんエネルギーのポイントが動いていく感覚がありました。エネルギーの糸を手繰っていくようでした。
そして、神社をでたあとに、この龍岡城の近くのこの鳥居。
ああ、わかった、と思ったとたんに、そうでもないよ、とこの鳥居に言われたようです。

佐久市のサイトの 新海三社 についてのページ。

玄松子さんの 新海三社のページ

佐久市のサイトの 龍岡城 五稜郭 についてのページ


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*この記事を書いた人について
 辰巳(たつみ)
 聖地を巡礼する占い師。西洋占星術とタロットを使います。
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