完結。
最澄の命がつきていく場面が中心です。
彼らは実際ではなく、共通の意識のなかで出会います。
それは二人の衣のすそが風にたなびいて、ふっと落ちていくあいだの刹那(せつな)の時間。
そして、釈迦と約束した56億7千万年後まで、彼らの祈りは続くのです。
むしろ、「これから末法の世」だから忙しくなりそうだと語っています。
有り難い。
私のために祈ってくれる方がいる、という心強さ。
最澄、伝教大師はいまも、比叡山延暦寺で生きておられます。
比叡山延暦寺にある御廟所から毎日、浄土院に通われています。
お仕えする「十二年籠山(ろうざん)行」をなさる修行僧の方は、お膳をお供えしたりお勤めをされるときは、御廟所から拝殿に伝教大師が入れるように、障子、扉を指2本くらい開けておくそうです。
また、空海、弘法大師も、高野山奥の院で永遠の瞑想をされているそうです。
こちらでも、毎日、お食事をさしあげたり、身の回りのお世話をされています。
そして、この物語の最終ページ近く。
ある場所に立っている二人の人物。
その場所は、私の住んでいる東京のあの街だとわかるのです。
そして、その足もとだけが画面に書かれています。
でも、私たちはああ、この方々はあのお二人だ、と感じるのです。
いま、この瞬間にも、この東京でも、空海と最澄は生きている、と思います。
そして彼らを見送った二人の女性の後ろ姿を、私たちは見送って物語は完結します。
読むだけでもエネルギーを使うこの物語を、最後まで見ることができて幸せでした。
ありがとうございました。
この紙媒体の14巻では、表紙に鮮やかな彼岸花が咲き、中程には見開きページが。
電子媒体にも別の仕掛けがあるようですが、私はやっぱり紙の本が好きだなあ。
出版記念のオンラインイベントに申し込んだときにサイン本つきチケットでいただいたものです。
単に自慢です(笑
この紙媒体の14巻では鮮やかな彼岸花が咲き、中程には見開きページが。
電子媒体にも別の仕掛けがあるようですが、私はやっぱり紙の本が好きだなあ。